■ それまでの生活
夫52才。それまで簡単な健康診断のみで、バリウムなどのガン検診は受けていませんでした。
2年前の50才の時に椎間板ヘルニアになる。担当医は「原因は老化によるものなので、
手術はしません」とのこと。以来毎日、整形外科で処方された、痛み止めと、
胃薬(痛み止めで胃が荒れるので)と漢方薬を飲んでいました。
入院の2ヶ月位前から歯がぐらついて食べにくいと歯医者に通い、
1回に歯を3本抜いたとかで、痛み止めの薬を処方されるところだけど、
ヘルニアの痛み止めを飲んでるなら併用して飲まないようにと言われたそうです。
本人もそんなに痛くないというのを聞いて、そんなに強い痛み止めを2年間も飲んでた事を知った。
歯を抜いてから、なかなか義歯が出来なくて食べられないと言ってたので、
義歯ができれば、しっかり食べられるようになると思ってました。
そんな頃に夫の仕事仲間から、
「ここ2週間位、午後になるとボーッとしてる」。と連絡をもらい、病院嫌いの夫だけれど、
とにかく念のため病院に行ってきて!と言うと「そういえば、だるいんだよなぁ…」と。。。
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■ 入院・がん告知
- 2010/06/09(水)
病院へ。ヘルニアは、車で5分ほどの総合病院に通院しているので、
そのついでに内科に寄るかと思っていたら、夫は近くの個人の内科を受診。
そこで、総合病院ですぐに検査をするように言われ、しかたなく?ヘルニアで通院している病院へ行く。
(個人病院では、ヘモグロビンの量が少なく貧血状態になっていると言われたようで、
家のPCで調べた形跡がありました)
男の人の貧血ってあんまり聞いたことがないと思いながらも、ちょっと栄養剤の点滴でもしてもらえば
すぐに元気になるだろうと思っていたら、即入院だったので、
この程度で入院なんて・・・ベッドが空いてたのかなぁ?なんて思っていました。
当の本人は、元気に?点滴をぶら下げながら病院の中をうろうろしていました。
- 2010/06/10(木)
毎日浴びるように飲んでたお酒もないから、2〜3日入院すれば、調子よくなるかと、
着替えを持って病院へ行くと、今日は内視鏡の検査をしたようで、「死ぬ思いだったよ〜!」と。
- 2010/06/11(金)
極度の貧血状態のため輸血開始。担当の先生から病状説明があった。
なぜ貧血になるのかを調べるためにCTと内視鏡の検査をし、画像をその見ながら、
検査の結果が出るまではっきりしないが、胃の中によくないものがあり、肝臓にもポチポチある・・・
とやわらか〜いニュアンスで説明される。
私は癌だと思いましたが、夫は胃潰瘍か?と楽観的でした。検査結果は14日になるとのこと。
- 2010/06/13(日)
夫の仕事仲間の方がみなさん大勢でお見舞いに来てくださいました。
輸血をしたのでふらつきも少なくなり、まだ検査結果が出てないせいもあってか、
夫はとても楽しそうに歓談していました。
- 2010/06/14(月)
2回目の輸血。そして検査の結果説明を夫とふたりで聞きました。
「胃の出口(幽門前庭部)にがんがあります。肝臓にも転移しているので、手術はできません。
直すのは不可能なので、貧血の状態が良くなったら抗がん剤で進行を遅らせる治療になります」と。
食事は基本的には何を食べてもいいそうです。
夫は先生が手術はできないと言っているのに、「先生、胃を全部とっちゃってよ」と言っていました。
家に帰ってネットで調べてみると、抗がん剤治療しても、余命は半年から1年・・・のようです。
でも私は、ただそれは文字や言葉上のことで、あまり漠然していて実感もなく、
抗がん剤治療で少しは良くなると期待していました。
夫はこの日から数日、内視鏡で見た画像が夢の中に何度も出てきたそうです。
- 2010/06/14(月) PM23:00
ワールドカップカメルーン戦。
ホントはデイルームで夜中にTVを見てはダメらしいけど、数人が気になってそこに集まってきたそうです。
さすがに歓声はあげられなかったけど、タイムリーに見れて感動!してました。
・・・告知を受けたばかりで、眠れない夜だったんだと思います。
- 2010/06/18(金)
貧血状態が落ちつき、同伴者付きでの外出許可が出たので歯医者へ連れて行く。
義歯が出来たので、帰りにコンビニでアメリカンドッグを買ったけど、全部は食べられず。
でも、「ビールが飲みたい」と言うほど体調が落ち着いていた。
- 2010/06/19(土)
今日は私ひとりで、先生に話を聞きました。ネットで調べてあやふやだった、現在の病状と
今後の治療についてと・・・そして、余命について・・・。
病状はネットで調べたとおり、ステージ4。抗がん剤の副作用を見て落ち着いたら退院でき、
抗がん剤は錠剤なので自宅で治療できるらしく、点滴での投与の時のみ入院となるようです。
そして、余命は・・・余命というのは、あくまでの医者の主観であるけれど・・・年を越せるかどうか・・・
という状態との事でした。
(夫にはそれは、言わないでほしいと言いましたが、本人が聞いたら答える義務があるそうです)
それでも、夫の体調が落ち着いてきていたので、、妊娠7ヶ月の同居の娘に
「少なくても第二子の顔は見れる」と、まだまだ先の事のような感じで、実感もなく話してました。
- <病気がわかってから、夫の兄だけには連絡をしました。夫は私たちの前で弱気な事は言わなかったけれど
義兄さんが病院に来た時は「オレはもうだめだ・・・」とうつむいたまま、頭をあげなかったそうです>
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■ 抗がん剤治療
- 2010/06/23(水)
抗がん剤開始。
抗がん剤は「TS1」という錠剤を3週間服用し、今日から8日目にシスプラチン注「マルコ」
を点滴するそうです。
副作用はあまり感じないと言っていたけれど、食事はあまりとれてないようで、
服薬記録を見ると吐き気止めも飲んでいる。
- 2010/06/26(土)
外出許可をもらい(同伴者付き)、以前より腰が痛いとよく通っていた接骨院へ。
(歯医者は6/18以降、疲れるからもう行きたくないと言っていた)
この時病状を接骨院の先生に伝えたようです。入院中何度も接骨院に行きたいと言ってたけど、
思い返すと、この日が最後の通院になってしまいました。
- 2010/06/30(水)
抗がん剤・シスプラチン注「マルコ」投与。1日半かけてやる。腎臓の負担を軽減するための、
利尿剤の輸液も点滴するので、時間がかかるそうです。
- 2010/07/02(金)
「明日退院していいそうです」と夫からメールあり。シスプラチン注「マルコ」の副作用について聞いても、
あまりないようなので(夫が訴えなかったので)、この調子で抗がん剤治療をしていけば、
余命も伸びるかもしれないと期待してました。
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■ 退院・再入院
- 2010/07/03(土)
朝10時ごろパジャマのまま退院。退院時の体重は55キロ。元気だった頃より10キロ近く減っていました。
お昼にうどんを1/2人前食べ、「あ〜うまいなぁ〜」と。久しぶりの帰宅になってうれしくて、
その後マックのベーコンエッグを3/4個。入院中もあまり食べられなかったので、
そんなに食べて大丈夫かと心配してたら、夕飯は食べられませんでした。
- 2010/07/04(日)〜05(月)
「昨日食べ過ぎて食欲不振」と言い、ほとんど食べられず。
- 2010/07/06(火)
「回復傾向」と。やっと味噌汁や水を飲めるようになった。
- 2010/07/07(水)
食事…おかゆや、うどんを1/3人量とプリンとゼリー。
大好きだった里芋をやわらかく煮たけど、ほんの少ししか食べれなかった。
- 2010/07/08(木)
食事…そうめん(40g位)、おかゆ1/2人量。野菜スープ。山芋少し。
午後から下痢気味で、ひんぱんにトイレに行く。
- 2010/07/09(金)
食事…おかゆ、ほんの少し。たらこ1切れ。ゼリー、チーズケーキ1/2。
下痢は落ち着いたと言ってたけど、抗がん剤の副作用で、ほとんどベッドに横になり辛そう。
- 2010/07/10(土)
食事…そうめん、ダブルソフト1/2枚。プリン1コ。
「牛乳飲みすぎてまた下痢」と言ってたけど、抗がん剤の副作用ではないのかと思う。
- 2010/07/11(日)
食事…おかゆ、納豆、カップスープ、プリン、ヨーグルト、卵サンド。
今日も下痢気味。退院した翌日位から、かなり辛そうでトイレに行く以外ほとんどベッドに横になって、
顔も赤黒い。
入院中は面会時間のみしか状態がわからなかったけど、こうして家にいると、見ている私たち家族も辛かった。
- 2010/07/12(月)
食事…おかゆ、にゅうめん、山芋、カップのワンタン。それと、
長男が持ってきてくれたメロンとさくらんぼ。この頃果物は、美味しく食べられていました。
抗がん剤(TS1)服用は明日で終わりなので、終われば少しは楽になるかもしれないねと話しました。
- 2010/07/13(火)
食事…山芋、温泉卵、カップスープ、そうめん、しらすおろし、しじみ汁とメロンとさくらんぼ。
抗がん剤(TS1)服用、最終日。
朝から体温が38.1℃に。抗がん剤の冊子に38℃を超えたら診察をとあったけど、
夫は病院に行くのを嫌がったので様子を見ることにしました。
- 2010/07/14(水)
食事…朝はほとんど食べられず。昼間にメロンとさくらんぼ。
朝の体温が37.8℃に少し下がってたので、私は仕事に行きました。仕事中携帯が鳴らなかったので、
落ち着いたのかと思い帰宅すると、「39℃位熱があるんだ・・・」と。
夫は私が帰って来るまで我慢してたようです。。。急いで入院していた病院の夜間診療へ。
病院に行く時に、(ずっと下痢気味だったので)「オムツしないと理だ」というので、病院の売店でオムツを買い、
病院のトイレで履き替え、診察を受けるまで座ってるのも無理なので、救急のベッドに横にならせてもらい
順番を待ちました。夫は「オムツしたら、安心してトイレに行きたくなくなったよ。」と笑いながら言ってました。
私は《はずかしい事じゃないよ》と言いたくて 「女の人だって、尿モレシートを普通に使う時代なんだから
安心できるほうがいいよね」といいながら、・・・数日前から頻繁にトイレに行ってたから、もっと早くオムツを
勧めてあげてればよかったと思いました。
問診表に記入するので、体重を測ったら、50キロ。。。家にいる間の10日間で5キロも減っていました。
診察が始まり、(今までは血液検査では試験管位の少量の血液採取だったのが)太ももの付け根の静脈から
背の低い牛乳瓶位の量の血液を取っていたので、大変な状態なんだろうと察しました。
血液検査とCTの結果、抗がん剤投与で白血球が減少したため、免疫力が低下し、感染症にかかって
しまったようです。(冊子にも発熱がある場合は感染症にかかっている可能性が高いとありました)
もらった「抗がん剤治療を受ける皆様へ」の冊子をそのつど見てたつもりがよくわかってませんでした。
検査の結果が出て再入院になり、入院セット持って行ったりして帰ってきたのは確か11時近くになってました。
家にいる間、辛い顔を見ているだけで何もできないでいたので、病院だったら食べられない時は
すぐに点滴してもらえるから、入院にはなってしまったけど、少しほっとしました。
- 2010/07/15(木)
体温37.4℃。絶食。感染症のため二重扉の個室で、面会者もマスクをするようにと。
熱が下がったせいか、病院ということもあり夫も安心してる様子。
- 2010/07/16(金)〜17(土)
体温38℃。絶食。抗がん剤の副作用によると思われる下痢・腹痛あり。
- 2010/07/18(日)
体温37.4℃。絶食中だけど、食べたいという桃とプリンを持って行き食べ、桃の天然水を飲む。
久しぶりに食べたから具合が悪くなってないかとメールしたら、「大丈夫だよ。じゃあまたね。」という返事でした。
- 2010/07/19(月)
体温36℃に下がったけど、まだ病院食が出ないので、「ファミマのヤキソバロールと牛乳パック買ってきて」と
メールあり。ヤキソバロールは一口食べて「イメージしてたのと違う。しょっぱい」と。
元気に仕事をしてた時は美味しく感じても、抗がん剤を服用していた今では味覚が違っているようです。
でも好きな果物(この日は桃)とプリンは美味しく食べれてるようです。
看護士さんに病院食はいつから出してもらえるのか聞いたら、先生に確認後明日の朝からになりました。
聞かなかったら、、まだ絶食だったのかも・・・。
- 2010/07/20(火)
体温36.3℃。今日から病院食が出る事になりました。朝、ほっけ。昼、エビグラタン。
久しぶりの食事らしい食事なので、「うまかった〜」と。
家にいる間、食べれない夫に何を作っていいのかわからなかったので、
病院食はどんなのが出るのが知りたくて、夕飯は写真付きでメールを送ってもらいました。
届いたメールは・・・画像と「ワカメスープ ミートローフ 生果物」と書かれてるだけ。
この後8/2まで朝食と昼食のメールが届きましたが、感想は一切無しでした。
- 2010/07/21(水)
体温36.7℃。「四人部屋に引っ越しました。感染症の心配が減少したそう」とメールあり。
朝食、昼食とも美味しく食べられたけど、食べすぎでもたれてるから夕食は少なめにしたと。
- 2010/07/22(木)
体温36.5℃。四人部屋から病棟のはじっこの二人部屋へ引越。感染症の心配は減ったとはいえ、
大事をとって人の出入りの少な部屋になったようです。 少し腹痛あり。
- 2010/07/23(金)
体温36.5℃。朝食、昼食は美味しく食べたといってたけど、午後、面会に行ったら「お腹が痛い」というので、
痛み止めをもらう。夫は「モルヒネだ!」と言ってたけど、オキシコンチン錠という医療用の麻薬でした。
夫の中では、モルヒネ=最期の痛み止めのイメージだったようです。(この日位からオキシコンチンを常用)
薬の説明の冊子をみると、医療用の麻薬はきちんと使用すれば、安心で、痛みのとれるものだそうです。
プラスして急な痛みの時に飲むオキノーム散というレスキューのお薬もあるそうです。
- 2010/07/24(土)
体温36.5℃。この日もオキシコンチン錠を飲んでいるけど、急に胃が痛いと言いながら
ベッドの上でうずくまってるのに、ナースコールはまだしないと言う夫。
「痛いのは我慢しないで、すぐに言ってくださいって看護師さんが言ってたじゃない。
オキノーム散は、1日に何回飲んでもかまいませんって冊子にも書いてあるし・・・」と言うとやっと看護師さんに
オキノーム散をもらい飲んでいました。その後痛みは落ち着いたようでした。
- 2010/07/25(日)
仕事中(11時頃だったか)病院から電話があり、今朝廊下で転倒、その後吐血があり、
今本人は落ち着いているが、病状の説明等あるので、できるだけ早く病院に来てくださいとの事。
急いで病院に行くと、転倒した時に一番端の病室からナースステーションのまん前の四人部屋に
引越ししていて、夫曰く「義歯を洗いに洗面所に行こうとしたら、(義歯の入ってる容器の)水がこぼれて
すべって転んだ」と。でも、先生の説明は「胃がんの部分から出血があったため、血圧が低下し、意識消失発作
をおこし転倒。そして吐血した」と。2〜3日前から胃が痛いと言ってたのは、出血のせいだったのかも。
この日から31日まで5日間輸血をした。
- 2010/07/26(月)
体温38.0℃。AM少し吐血あり。この頃から、PM3時位と夕飯時の2回面会に行くようになった。
病院に行くと四人部屋の狭いスペースのところに、ポータブルトイレが置かれていた
夫が、「血を吐いたのはショックだったよ・・・オレ、もうだめなのかな?・・・遺言でも書いとくか・・・」と。
尿がでにくいようで、尿管からおしっこを出されてたけど、すごく痛いそうで、その後は自力で出そうと
頻繁にトイレに座ってたけど、あまり出せてないようでした。
- 2010/07/27(火)
体温38.0℃。AM今度は下血あり。PM病院に行くと(25日から絶食になってるので)「お腹空いたから、
ポテトチップを買ってきて」と夫。「ポテトは刺さりそうで恐いからイヤだ!」と私が拒否したら、しかたなく
「じゃあカールでいいや」と。他にメロンも食べました。輸血をしてるので、大分落ち着いてきたようです。
夕方、まず私一人で先生の話を聞きました。
<蘇生治療の差し控え(DNAR)に関する説明>を受けました。DNARとは、癌の末期など、死期が近づいている
患者などで、本人(場合によっては家族)の希望で心肺蘇生法を試みる事を差し控えることだそうです。
現在の状態は、<癌出血があり、輸血を繰り返しているが、まだ出血しており血圧も低下してしている
このまま血圧が低下して心肺停止になるリスクがある>とのこと。
もしもの時に、昇圧剤・人工呼吸器は使用しない。心臓マッサージ(を、するとあばら骨が折れ刺さって
出血する可能性があるようです)も電気ショックもしない事に私は同意し、
合わせて私は、「血圧が戻ったとしても、抗がん剤治療はやらせたくない。退院して家にいる間ずっと辛そうで、
側で見ている家族も辛かったから・・・抗がん剤治療をしている間は、もしかして生きてるのかもしれないけど、
辛い時間が伸びるだけの治療はさせたくない・・・本人がやると言ったら反対はしませんが、私と家族は
そう考えてます」と話しました。
次に病室で夫といっしょにDNARの説明を受けました。(体調の安定している今だからこそ話ができるそうで、
確かにかなり悪い状態の時だと、残酷な話で冷静な判断ができないと思う)
先生はとても優しい口調で、「近い将来また出血する可能性があるんだけれど、もちろん輸血とか止血の処置は
するけれど、それでも血圧が戻らなかったりした場合の処置について、どうするかを考えていただきたい」と。
夫は、昇圧剤・人工呼吸器は使用しない。でも、心臓マッサージはしてほしいなぁ・・・と言うので、
夫の意思の方で、同意書を書きました。
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■ 余命宣告・緩和治療へ
- 2010/07/28(水)
体温38.1℃。血圧80/40。今日も導尿(尿を出してもらう)したそうです。
病院に行ったら、昨日食べたいと言っていたポテトチップと柿の種があった。
聞くと看護師さんに売店まで車椅子で連れてってもらい、買ったそうです。
「さすがにコレはまずいでしょ!」と言うと夫はかなりふてくされてました。
病室を出ると看護師さんから、「もしご希望があれば今個室があいているので、そちらを使ってもいいですよ。
個室だったら24時間面会自由ですし・・・」と言っていただいたので夫に聞くと、「個室だと何だか大げさだから
ココでいいよ」と。四人部屋だといろんな音が聞こえたり、話が聞こえるから、隔離された感じの個室と比べると
まだ寂しさが少ないみたいです。
- 2010/07/29(木)
体温36.6℃。血圧90/50。午前中、「今日は何時に来るの?」と情けな〜い声で夫から電話があった。
入院中こんな電話をかけてきた事がなかったので、何かあったと思い仕事を早退して、
食べたいと言ううなぎを持って病院へ。
夫「あと1ヶ月だって・・」 私「え??・・・誰が言ったの?」 「(昨日)先生が言った」 私「・・・」
そして夫は 「これからは、痛くない苦しまない治療にする」と。 ・・・その後、持って言ったうなぎを用意しました。
「もし骨があったら怖いから、よ〜〜く噛んで食べてね」と、ちっちゃなタッパーに、ほんの少しのごはんと
うなぎだったけど、「うまいなぁ・・・」と言い、涙ぐみながら食べているように見えました。
病室を出て看護師さんに話を聞くと、昨日買ったポテチと柿の種を見て先生に注意され、
余命宣告をされたそうです。そして泣いていたと・・・・。
担当医はいきなり余命を言うような人ではないので、私の想像するには、
看護師さんは危険な食べ物を持ち込むと注意するけれど、それでも聞かないから、先生から指摘を受け、
そして本人が「オレってそんなに悪いの?あとどの位なの?」と、私が帰ったあとの夜に
その事を聞いたようです。どんなに辛い夜を過ごしたんだろう・・・と思います。
「痛まない治療にする」といってくれた事には、ほっとしました。「抗がん剤治療がいい」と言われると
夫は見かけとは違って本質的にはとっても素直な人なので、どんなに辛くても受け入れるタイプの人だから・・・
娘は臨月に入り、あと1ヶ月で第二子が生まれるという時期で、一方夫は余命1ヶ月・・・とは。
今までは毎日その日の状態を娘に話していたけど、さすがに数日はこの話はできませんでした。
- 2010/07/30(金)
体温36.6℃。血圧108/60。朝、リクエストのマックのエッグマックマフィンを買って病院へ。
1/4位しか食べられなかったようだけど、美味しかったと。昼は桃だけ。
夕飯はまたうなぎが食べたいと言っていたけど、2切れだけしか食べられなかった。
- 2010/07/31(土)
体温36.6℃。血圧140/70。この日から病院食が出る。血圧も昨日から少し上がってきて安定している。
午後担当医の話を一人で聞く。余命1ヶ月の事についてきいたところ、癌が胃の出口をふさいでしまって
食べられなくなると、血圧を維持する力がなくなり、やがて・・・となるそうです。食事については、硬いもの以外
制限はないので、何を食べてもいいとの事でした。
食べられなくなって辛い思いをするよりは、再度吐血してそのまま逝けたほうが
苦しみが最小限ですむのではないか・・・と考えたりもしました。
- 2010/08/02(月)
体温36.4℃。血圧107/68。朝と昼ごはんが美味しくなかったから、ミニストップのホットドックが食べたいと
リクエストあり。1/4位食べる。他にプリン、ゼリー、ぶどうも食べた。
- 2010/08/03(火)
体温38.7℃。血圧107/50。病院内に床屋さんが来る日で、看護師さんがその場所まで
連れていってくれ散髪。午後面会に行くと、すっきりした顔になっていて、「なかなか腕がイイ」と夫。
2ヶ月ぶりの散髪で少し気分が良くなったようで、お昼のトマト煮も美味しかったと。
同室の方が看護師さんに「コーヒーは飲んでもいいの?」と言ってるのを聞いて、「オレもコーヒー飲みたい」と。
コーヒーを飲んだ後、うとうと寝ていた顔は、楽しい夢を見ているような表情をしてました。
- 2010/08/04(水)
体温36.4℃。血圧120/60。
この日も看護師さんに売店に連れて行ってもらったようでお菓子があった。お昼はフィレオフィッシュ1/4と
コーヒーと桃。安定してくると緩和治療ではなく、もう一度抗がん剤治療をしてみたらどうかと
夫や担当医に話をしてみようと考える。けれど、安定してるのは3〜4日だけで、
夕方から体温が38.7℃に上がった。
- 2010/08/05(木)
体温38.7℃。血圧170/?。
午後面会に行った時はうとうとはしていたけれど、話はできた。でも夜は意識もうろうとしている感じ。
- 2010/08/06(金)
体温38.0→39.1℃。血圧120。
午後は寝ていた。夜は熱が上がっていたけれど、おかゆ3/4位食べる。
7/26から置いていたポータブルトイレは かたづけてもらった。
- <この頃腰が痛いと言うので、毎日湿布を貼っていた>
- 2010/08/07(土)
体温38.5℃。血圧140。
今日も売店に連れてってもらったようで、ホットドックとハムチーズのパンとお菓子があった。
おかゆも3/4食べる。
- 2010/08/08(日)
体温38.1℃。血圧120/90。おかゆ3/4食べる。また導尿してもらう。
- 2010/08/09(月)
体温37.5℃。血圧120/60。チキンナゲット1個食べる。今日も導尿したようです。
昨日携帯をトイレに落としてしまい使えなくなってしまったので、少しでも気が紛れればと、
新しい携帯を買って持っていきました。老眼鏡をかけながら携帯や説明書を見てました。
- 2010/08/10(火)
体温36.9℃。血圧120/60。おかゆ4/5食べる。夫と担当医の話を聞く。
尿が出にくいのは前立腺肥大の疑いがあるらしく、明日検査をするそうです。そして、先生が
「(先週)マクドナルドを食べてからだいぶ食べられるようになったようで・・・」と、
先生もビックリの食欲だと言われ、気を良くした夫は、「あと2〜3回血を吐いても大丈夫だと思う!」と
妙な自信を語ってました。やっぱり食べられるというのは、心も安定させるようです。
- 2010/08/11(水)
朝方少し吐く。今まで2本だった点滴が1本になる。おかゆ4/5。この日まで、メロンとゼリーを食べていた。
- 2010/08/12(木)
体温36.4℃。8/1から昨日までわりとよく食べられていたけど、今日は腹が張って食欲不振と。
レスキューのオキノーム散、1回飲む。
昨日言われた前立腺について調べてみたら、男性であれば誰でもなる可能性があるもののようです。
夕方尿をとる管(バルーンカテーテル)を入れました。今までかなり頻繁にトイレに行っていたので
これで少しは楽になるんじゃないかと思いました。
- 2010/08/13(金)
体温36.4℃。朝から何度も吐き、しゃっくりもよく出て苦しそう。食欲なし。
午後吐き気止めの注射と、オキノーム散1回。
- 2010/08/14(土)
体温36.4℃。昨夜そして今日も何度も吐く。薬を飲んでも吐いてしまうため、座薬の痛み止めをする。
- 2010/08/15(日)
今日も何度も吐く。吐き気止めも座薬。夜も吐く。ほとんど寝ている中、
夫の昔からの知り合いKさんが病院に来て、偶然病室の夫の名前を見つけ、寄ってくれました。
(この後Kさんは、闘病中何度もお見舞いに来てくれました)
- 2010/08/16(月)
朝10時レスキュー薬。ほとんど1日寝ているが、しゃっくりが出はじめるとすごく苦しそう。
- 2010/08/17(火)
体温37.2℃。昼食少し、夜おかゆ2/5。ポカリスエット1/2。食べるとすぐにうとうと寝はじめる。
担当医と話をした。(余命1ヶ月と言われてから3週間)かなり状態が悪くなっているようです。
- 2010/08/18(水)
体温37.3℃。ガルボ(チョコレート)1本食べたよう。しゃっくり止めの薬ですぐに寝る。
夕方もよく寝ていた。寝ている時は、苦しそうな様子ではないので、少しほっとしていました。
- 2010/08/19(木)
体温37.1℃。ガルボ1本。水1本。ポカリ1本。1日よく寝ていた。夕方おかゆ1/2を食べ、すぐ寝た。
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